夜の静けさに溶けていく音:ロルフ・リスレヴァンとパット・メセニー
パット・メセニーの『One Quiet Night』を愛聴している人に、まず聞いてみたい。
あのアルバムのどこに惹かれているだろうか。超絶技巧でも、複雑なアンサンブルでもない。たった1本のバリトンギター、1本のマイク、そして誰にも見せるためではなく、ただ自分自身のためだけに弾かれた音。メセニー自身、あの作品について「本質的にはひとつの音、ひとつのムードについての作品で、その単一の世界の奥深くへ、時間をかけて入り込んでいくことがテーマだった」と語っている。装飾を削ぎ落とし、静けさの中に沈んでいくような、決してでしゃばらないギター。
もしそこに惹かれるなら、ぜひ聴いてほしいアルバムがある。ロルフ・リスレヴァンの『Libro primo』(ECM New Series、2025年)だ。
実際にこのアルバムを聴いたとき、私が引き寄せられたのは、17世紀の宮廷を彩ったはずの華やかさではなかった。静かに奏でられるリュートの、驚くほど「古楽らしくない」現代的な響き――そこにこそ惹きつけられた。そして、そこからふと思い浮かんだのが、パット・メセニーの音楽だったのだ。
リスレヴァンという「越境者」
ロルフ・リスレヴァンは1961年オスロ生まれ。実は彼のキャリアは、リュートではなくクラシックギターから始まっている。ノルウェー国立音楽アカデミーでギターを学んだ後、バーゼルのスコラ・カントルムでホプキンソン・スミスとオイゲン・ドンボワに師事し、そこで初めてリュートやビウエラ、バロックギターといった古楽器の世界に足を踏み入れた。以来、ジョルディ・サヴァールのアンサンブルでの活動を経て、現在はドイツ・トロッシンゲン音楽大学でリュートと歴史的演奏法の教授を務めている。
つまり彼は、モダンギターの身体感覚を持ったまま、キタローネという「異国」に移住した音楽家なのだ。ギターとリュートはいわば古い「いとこ」同士。リスレヴァンはその境界線を自らの奏者人生の中で軽々と飛び越え、2つの世界を橋渡ししている。
『Libro primo』について
『Libro primo』というタイトルは、17世紀イタリアの作曲家たちがそれぞれ最初に出版した曲集――「libro primo(第一書)」――に光を当てるというコンセプトから来ている。彼らの多くは、貴族や聖職者に仕える専属のリュート奏者だった。中心となるヨハン・ヒエロニムス・カプスベルガーも、ローマでバルベリーニ家の枢機卿(後の教皇ウルバヌス8世の甥)に仕え、教皇庁の内輪の演奏会にも出入りしていた人物だ。つまりこの曲集に収められているのは、宮廷や貴族の館という限られた空間で、奏者自身が自らのパトロンのために書き、弾いていた音楽なのだ。アルバムはこのカプスベルガーを中心に、同時代の作曲家たちの曲で構成されている。
録音場所も象徴的で、北ノルウェーの静かな納屋を自ら改装したスタジオで、2022年から2023年にかけて一人で録音された。ミックスは2024年、ミュンヘンでマンフレート・アイヒャーとともに行われている。
楽譜の「余白」が即興を呼ぶ
なぜ400年前の曲が、こんなにも自由に、まるで即興演奏のように響くのか。ここには当時の記譜法そのものの性質が関わっている。
リュート用のタブラチュア(TAB譜)は、どの弦のどのフレットを押さえるかというピッチの指定に関しては、現代のTAB譜と同じくらい精密だった。曖昧だったのはむしろリズムと装飾の側だ。トッカータやプレリュードはもともと即興的な性格を色濃く残す形式で、書かれた音はいわば骨組みに過ぎない。楽譜が意図的に残した解釈の「余白」を、リスレヴァンはギター奏者としての直感と身体感覚で埋めていく。だからこそ400年前の曲が、いま目の前で生まれたジャズのように瑞々しく響くのだ。
静寂へ溶けていくという共通点
『Libro primo』を聴いていてどうしても思い出してしまうのが、冒頭で触れた『One Quiet Night』だ。両者に共通するのは、単に「静かな曲」というだけではない。
- オーバーダブなしの、たった1つの楽器による孤独な演奏
- 誰かに聴かせるための「ショー」ではなく、まず奏者自身のための音楽として生まれたこと
- 人里離れた場所での録音(メセニーは自宅スタジオの深夜セッション、リスレヴァンはノルウェーの納屋)
- Downbeat誌がメセニーの盤に評した「装飾のない、心のこもった美しさ」という言葉の、そのままの合致
批評家たちはリスレヴァンの演奏について、フランスの印象派やジャズ作曲家カーラ・ブレイを引き合いに出してきた。それも十分納得できる比較だが、私の耳にはむしろ、パット・メセニーのようなアメリカン・ギタリストが夜更けに一人ギターを爪弾く感触の方が近く聞こえる。批評的な系譜としては証明できない、あくまで一人の聴き手としての直感だけれど。
『One Quiet Night』を知らない人へ
ここまで読んで「そもそもOne Quiet Nightを知らない」という人のために、最後に少しだけ紹介しておきたい。
パット・メセニーは、現代ジャズギターを代表する存在の一人だ。だが2003年の『One Quiet Night』では、いつものエレクトリックな音世界から離れ、カナダの製作家リンダ・マンザーに特注したバリトンギター1本だけで、ある晩、自宅のホームスタジオに座り込んだ。多重録音も編集もほとんどなし。ただマイク1本と、彼自身の指が紡ぐ低く豊かな響きだけがそこにある。この作品は2004年のグラミー賞(ベスト・ニューエイジ・アルバム)を受賞してもいる。
派手さとは正反対の場所にある名盤。決してでしゃばらず、聴き手を急かさず、ただ静けさの中に溶けていくギター。もしその魅力にすでに気づいているなら、『Libro primo』もきっと、同じ夜の時間に寄り添ってくれるはずだ。

