天才ジャズピアニストの早すぎる死:Esbjörn Svensson Trio

BBCのラジオ番組、Late Junctionから流れてきたその曲を、私は今でも覚えている。ジャズのピアノトリオなのに、どこかエレクトロニカのような質感があった。ビートが生ドラムなのに機械のような正確さを持ち、ベースがときにギターのように唸る。こんなジャズは聴いたことがなかった。翌日にはCDを買っていた。それがEsbjörn Svensson Trio、通称e.s.t.との出会いだった。

三人の出自と、それぞれが持ち込んだ音楽的背景

e.s.t.は1993年にストックホルムで結成されたスウェーデンのジャズピアノトリオだ。メンバーはエスビョルン・スヴェンソン(ピアノ)、ダン・ベルグルンド(ダブルベース)、マグヌス・エーストレム(ドラム)の三人。

スヴェンソンとエーストレムは幼なじみだった。スウェーデンの小さな町ヴェステロースで育った二人は、10代の頃からバンドを組んでいた。スヴェンソンの音楽的出自はクラシックとジャズの両方にあった。母親がクラシックピアニストで、父親はジャズ愛好家。少年時代にラジオでロックを聴きながら育ち、モンクを愛しつつも、その影響源はジャンルを超えていた。バンド名として仮に呼ばれていた曲のひとつが「Radiohead-Melody」だったことは、彼らの姿勢を象徴している。スヴェンソン自身も「三人ともRadioheadが大好きだ」と語っている。

エーストレムのドラムへの道は、兄のレコードコレクションから始まった。ジミ・ヘンドリックス、ディープ・パープル、オールマン・ブラザーズ、レーナード・スキナード。ロックで耳を育てた少年が13歳のときにビリー・コブハムとジョン・マクラフリンのコンサートを観て、ジャズロックに目覚めた。その体験がドラマーとしての彼の核にある。

ベーシストのベルグルンドもまた、根っからのハードロックファンだった。「ジミ・ヘンドリックスやリッチー・ブラックモアのように聞こえるように、ベースにボウとディストーションをかける実験を始めた」と本人が語っているように、彼のベースはジャズの文脈では異端の楽器だった。後にTonbruket結成後のインタビューでこう述べている。「新しいバンドにはギタリストがいるので、もはやe.s.t.のときのようにベーシストとギタリストを兼ねる必要がなくなった」──つまりe.s.t.では、ベースがギターの役割をも担っていたのだ。

生身の体が生み出した、打ち込みのような音

e.s.t.のサウンドを唯一無二のものにしたのは、この三つの異なる音楽的背景が衝突し、溶け合った結果だった。

エーストレムはブラシの毛先でスネアを叩いてポップスのリズムサンプルを模倣したり、エレクトロニック・トリガーを使ってサウンドのテクスチャを拡張したりした。生ドラムなのにプログラムされたビートのような正確さと有機的な揺らぎが共存するあの質感は、ロックで耳を鍛え、ジャズロックで目覚めた打楽器奏者が、エレクトロニカのグリッド感覚を生身の体で再現しようとした結果だった。

ベルグルンドはダブルベースにディストーション、ファズ、ディレイをかけ、ときに弓で弾いてギターのように鳴らした。ジャズの文脈では邪道とも言えるこのアプローチが、e.s.t.のサウンドにロック的な質感と推進力をもたらした。

そしてスヴェンソンのピアノ。クラシックの構築性とジャズの即興性、そしてポップスのメロディーセンスを併せ持つそのプレイは、エーストレムのリズムとベルグルンドのベースが作り出す「ジャズではない何か」の上に、確かにジャズとして着地した。

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ライブで火がついた国際的なブレイク

e.s.t.はスウェーデン国内では早くから評価されていたが、国際的なブレイクは1999年のモントルー・ジャズフェスティバルでのACTワールドジャズナイトの出演がきっかけだった。それを機にACTレーベルからスカンジナビア以外の地域にもアルバムがリリースされ、ヨーロッパ全土へと活動の場を広げた。

彼らの戦略は徹底的なライブだった。年間ほぼ100日をツアーに費やし、ジャズクラブだけでなくロック志向の会場でも演奏した。照明効果やスモークマシンを使ったステージ演出は、ジャズの観客だけでなく、若い層に届くことを意識したものだった。

ロンドンでは、ディーン・ストリートの小さなPizza Express Jazz Clubからスタートし、徐々に観客を増やしてコンサートホールを満員にするまでに成長した。Late Junctionのような実験音楽系ラジオ番組を通じてジャズ層以外にも届いていったことも、この時期の重要な経路だった。

2002年のアルバム『Strange Place for Snow』はドイツ・ジャズ賞、フランスのヴィクトワール・デュ・ジャズ(フランス版グラミー賞)最優秀国際アクト賞など多くの賞を受賞し、e.s.t.の名前をヨーロッパ中に知らしめた。2006年にはアメリカのジャズ専門誌Downbeatの表紙を飾った、初のヨーロッパ出身バンドとなった。

到達点としての『Seven Days of Falling』

2003年の『Seven Days of Falling』は、e.s.t.のサウンドが完成した作品だ。エレクトロニカとジャズとロックが完全に溶け合い、どのジャンルにも収まらない独自の音楽として結晶した。

エーストレムのドラムはこのアルバムでより大胆に「打ち込みのような」質感を追求し、ベルグルンドのベースはさらに自由にギターとベースの境界を越える。スヴェンソンのピアノは美しいメロディーを保ちながら、その下に複雑なリズム構造を隠している。

多くの批評家がe.s.t.を「ジャズを知らない人が初めてジャズを好きになる入口」と評したのはこの時期からだ。通常のジャズアルバムの三倍の売上を記録し、普段はジャズを聴かない若い聴衆がライブ会場を埋めた。

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比較という誘惑 ── Nils Petter Molværとの違い

同時代のミュージシャンとして、e.s.t.と並べて語られることがあるのがノルウェーのトランペット奏者、ニルス・ペッター・モルヴェルだ。ECMというレーベルは、静謐なチェンバー・ジャズの牙城として知られていたが、モルヴェルは1997年の『Khmer』と2000年の『Solid Ether』でその常識を覆した。特に『Solid Ether』は打ち込みビートがより前面に出た作品で、冒頭曲「Dead Indeed」はほぼすべてモルヴェル自身によって演奏・プログラムされている。ジャズの枠をはるかに超えた批評的な評価を受け、ECMの新たな聴衆層を開拓した。

しかし根本的な違いがある。モルヴェルはコンピュータとサンプラーを自ら操作し、電子的に生成されたビートの上にトランペットを重ねる。それは優れた方法論だが、e.s.t.のアプローチとは出発点が異なる。

e.s.t.が生み出したものは、生身の人間の体がエレクトロニカのグリッドを模倣し、それを超えようとした結果だった。機械を使わずに、ロックとジャズとエレクトロニカを生楽器だけで融合させる──その奇跡を、三人の人間が体で実現した。

突然の終わり

絶頂期にあった2008年6月14日、スヴェンソンはストックホルム郊外のイングアロー島近海でスキューバダイビング中に事故死した。44歳だった。同行していたのは彼の14歳の息子を含むダイビング仲間たちで、海底で意識を失った彼を発見した。

残されたベルグルンドとエーストレムは、スヴェンソンの代わりに別のピアニストを加えてバンドを続けることは不可能だと判断した。e.s.t.はそこで終わった。

その後、二人はそれぞれ別のプロジェクトで活動を続けている。ベルグルンドはTonbruketを結成し、エーストレムはソロ活動を経てRymdenを立ち上げた。しかしe.s.t.というバンドは、もう存在しない。

誰も乗り越えていない奇跡

後続のミュージシャンたちはe.s.t.のサウンドから何かを受け取り、自分たちの音楽に活かそうとした。しかしその家を完全に建て直すことはできていない。

生ドラムと生ベースと生ピアノだけで、エレクトロニカとロックとジャズを融合させるあのサウンドは、三人の特異な音楽的背景と長年のアンサンブルが作り出した、再現不可能な化学反応だった。

今から二十年以上前のアルバムを聴いても、e.s.t.のサウンドは古びない。それはこの音楽が特定のジャンルや時代の流行に乗っていたからではなく、人間の体と楽器が作り出せる何かの限界に触れていたからだと思う。

その奇跡は、まだ誰も乗り越えていない。