私の好きなバッハ:6つのパルティータ

現代のロックにも通じる推進力

バッハには、BWV番号だけで1,000曲を超える作品が残されている。教会カンタータ、受難曲、オラトリオ、協奏曲、フーガ――この途方もない作品群の中で、私が特に惹かれるのは6つのパルティータだ。理由は単純で、そこには現代のロックにも通じるような、思わずリズムを取ってしまいたくなる対位法的な推進力が潜んでいる。追いかけ合う旋律線がそのままビートを生み出す、この感覚こそがパルティータの核心だと思う。

なぜバッハの音楽に、そんな身体的な推進力が宿っているのか。それを理解するには、この作曲家がどんな人物だったのかを少し遡っておく必要がある。

泉としてのバッハ

BWVの作品数は、20世紀の時点で1,126曲、2022年の最新版ではさらに新発見の作品が加わり、約1,150曲前後。紛失作品や真贋不明の作品を含む付録まで数えれば、広義には1,400曲近くに及ぶ。この作品群は、単に「量が多い」というだけでなく、後続の作曲家たちが繰り返し立ち返る、汲めども尽きぬ泉のような存在であり続けている。

11歳のベートーヴェンは、すでに『平均律クラヴィーア曲集』を暗譜していたと言われる。その影響は、後年の弦楽四重奏曲、特に晩年の作品群に色濃く刻まれている。メンデルスゾーン、シューマン、ブラームス、リストもまた、それぞれの形でバッハの対位法を自らの語法に取り込んだ。20世紀に入ってからも、この泉から水を汲む人々は絶えなかった。演奏家という立場から汲み続けた者もいれば、作曲家として自らの語法にその構造を取り込んだ者もいる。バッハという泉は、いまだに涸れる気配がない。

オペラの誕生と、そこからの距離

バッハが生まれる少し前、1600年前後のフィレンツェでオペラが誕生した。モンテヴェルディは「テキストが音楽の主人であり、音楽はその僕である」と宣言し、劇中人物の情動を音楽で描くことを最優先する立場を打ち出した。この情動表現の語彙は、やがてアフェクトゥス理論として器楽曲にも広がり、バロック音楽全体の基盤の一つになっていく。

バッハもこの潮流と無縁ではいられなかった。ただ、彼が身を置いた場は、オペラ劇場からは一貫して距離があった。ムールハウゼンやライプツィヒの教会職、ヴァイマルやケーテンの宮廷職――いずれもオペラ上演を必要としない場だ。同い年で、イタリア・オペラの作曲家として出発し劇場的な効果を優先したヘンデルとは対照的に、バッハは教会音楽という立場から一度も動かなかった。『マタイ受難曲』のようにレチタティーヴォやアリアといったオペラの語彙を大胆に取り入れながらも、そこでの情動は劇場的な誇示としてではなく、対位法という構造の中に組み込まれる形でしか現れない。

抽象化された構築美は枯れない

バッハの音楽が今も色褪せないのは、こうして情動表現という素材までも、劇場から距離を保ったまま構造の中に消化してしまったところにある。ルター派のコラール、南北ドイツの様式(パッヘルベル、ブクステフーデ)、イタリアの様式(ヴィヴァルディ)、フランスの様式(リュリ、マレ)、そしてオペラ由来の情動表現――これら様々な素材を、対位法という抽象的な論理構造の中に、普遍的な形で固めきった。

その核心にあるのがフーガという装置だ。フーガ(fuga、イタリア語で「逃走」)は、一つの主題を複数の声部が時間差で追いかけ合う構造を持つ。声部同士の論理的な関係――応答、転回、拡大縮小――だけで構造を追うことができるため、聴き手がその宗教的・地域的な文脈を知らなくても成立する。『フーガの技法』のように演奏楽器すら指定しない作品にまで到達したのは、その極致と言える。バッハは複数の郷土性を吸収しすぎたがゆえに、特定の一つの地域色に還元できなくなった作曲家だった。だからこそ、その音楽は特定の文化的背景を知らない耳にも、構造そのものとして開かれている。

一度は「難解すぎる」と見捨てられた音楽

もっとも、この普遍性は同時代人にすぐ理解されたわけではない。1737年、音楽評論家ヨハン・アドルフ・シャイベはバッハをこう評した。「この偉大な人物は、鍵盤の腕前は驚異的だが、もっと感じの良いスタイルを持ち、大仰さと込み入りすぎた技巧で作品を台無しにし、過剰な技によって美しさを覆い隠すことさえしなければ、あらゆる国々の驚異となっていただろう」。当時の音楽界は簡潔で親しみやすい「ギャラント様式」へと向かっており、バッハは時代遅れで難解と見なされていた。バッハの息子たちですら、父の作風を古臭いと感じていたと伝えられている。

死後、バッハの音楽は長らく忘れられていた。それが再び日の目を見たのは、1829年、20歳のメンデルスゾーンがベルリンで『マタイ受難曲』を、実に100年ぶりに公開演奏したときだ。この「バッハ・リバイバル」は、単なる再演ではなかった。メンデルスゾーンはアリアの約3分の1、合唱の約半分を削り、楽器編成をバロックの管楽器から当時のクラリネットなどへ置き換え、バッハが演奏者の裁量に委ねていた強弱やフレージングに、自ら細かく書き込みを加えた。音楽学者の評によれば、その狙いは「聖書テキストへの劇的な集中」と「ロマン派的な意味での感情の強調」の両方にあった。ちょうどドイツでロマン主義の音楽が花開いていた時代、埋もれていた天才という物語そのものが情動を帯び、オペラに近い劇的要素を持つ『マタイ受難曲』のような作品が、極めて情動的な解釈で立ち上げ直されたのだ。

非情動的な解釈という、もう一つの道

その後、バッハの受容はさらに枝分かれしていく。20世紀後半、ジャズ・ピアニストのキース・ジャレットは、『平均律クラヴィーア曲集』(第1巻はピアノ、第2巻はチェンバロ)や『ゴルトベルク変奏曲』(チェンバロ)をECMに録音した。その解釈は、ロマン派的な感情の注入とは対照的な方向を向いている。批評では「詩的な抑制」「自分の個性を音楽に過剰に押し付けない」「バッハにおける”思考のプロセス”に深く同調していた」「冷ややかな体温、抑制された表現」と評されてきた。即興演奏の名手でありながら、あえて自己主張を抑えるジャレットの姿勢は、メンデルスゾーンとは正反対の極にある。

バッハの楽譜そのものが、強弱記号や表情記号をほとんど残していないことも大きい。演奏者の裁量に委ねられた余白が大きいからこそ、メンデルスゾーンのようにロマン派的感情を注ぎ込むことも、ジャレットのように構造そのものを浮かび上がらせることも、どちらも可能になる。バッハが時代を超えて受容され続けているのは、この「様々な解釈を許す楽譜」を残したことに、大きな理由がある。

それでも、私が惹かれるのはパルティータだ

パルティータは元来、舞曲組曲――アルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグといった、実際の宮廷舞踏に由来する楽章で構成された形式だ。ただしバッハはその冒頭に、プレリュード、シンフォニア、ファンタジア、序曲(ウヴェルテュール)といった、舞曲ではない自由で大規模な導入楽章を据えている。単なる踊りの伴奏を超えた、器楽作品としての構築物へと舞曲組曲を昇華させた、というのがこの形式の核心だ。その身体性を最も雄弁に伝えてくれるのが、アンドラーシュ・シフの演奏だと思う。

András Schiff - Bach Partita No.5 in G major

2007年のECMライヴ盤について、批評は「シフはこの音楽を歌い、踊らせる。常にリズムのラインを前へ前へと推進させている」と評している。テンポは快活で、勢いよく推進力を持ち、舞曲としての起源を的確に捉えている、と。

これほどのテンポでバッハを弾くには、楽譜を目で追いながらでは到底追いつかない。事実、シフはこれらの作品を暗譜で演奏している。2017年のBBCプロムスで『平均律クラヴィーア曲集』第1巻全曲を暗譜で演奏した際、批評家は「最初は驚くべきことに思えたが、これは彼が人生の大半を共に過ごしてきた音楽なのだ」と評した。シフ自身、50年以上にわたって毎朝1時間ほどバッハを弾くことを日課にしてきたと語っている――「朝食前にもバッハを弾く。まるで内なる衛生管理のようなものだ」。複雑な対位法が幾重にも絡み合う大量の楽章を、譜面なしでこれほどの速度で弾きこなす。それは単なる記憶力の産物ではなく、日々の反復を通じてバッハの音楽理論そのものが、指先の動きとして身体に刻み込まれてしまった結果なのだと思う。