なぜビッグバンドなのにロックに聞こえるのか——Jaga Jazzistの音楽

Jaga Jazzistは、たいていジャズの文脈で紹介される。ノルウェー出身の大編成バンド、BBCが2002年の最優秀ジャズアルバムに選んだ『A Livingroom Hush』、という具合に。実際、サックスやフルートのセクションには確かにジャズの呼吸がある。コード進行の上を自由に泳ぐ、あの即興の手触りだ。

ところが同じ曲の中でギターとドラムに耳を移した途端、まったく別の生き物が鳴っていることに気づく。ジャズの揺れではなく、ロックの直進。木管が呼吸している隣で、ギターとドラムは前だけを向いて走っている。この奇妙な同居こそが、Jaga Jazzistを聴くときにいつも覚える座りの悪さの正体だと思う。彼らはジャズのビッグバンドがロックに寄っていった集団ではなく、そもそも境界線を引く気のなかった人間たちが、たまたま大編成という器を手にしてしまった――そう考えた方が、この音楽には近い気がする。

大人数になった理由

大人数になった経緯を辿ると、この見立てはわりと裏が取れる。Jaga Jazzistは1994年、オスロから車で90分ほど離れた町トンスベルグで、Horntveth家の三兄弟妹、Martin、Lars、Lineによって始まった。メンバーの多くはほとんど幼馴染だったという。動機として本人たちが語っているのは「とにかく大勢で、思いつく限りのあらゆる楽器を使って、いろんなスタイルの音楽をやりたかった」という、拍子抜けするほど気楽なものだ。友達を次々に巻き込みながら膨れ上がったバンドの規模は、緻密な編成設計の産物ではなく、この最初の思いつきがそのまま育っただけなのだろう。

作曲面を実質的に引き受けてきたのは、結成時わずか14歳だったLars Horntveth。以後30年、旋律も和声も構成も、ほぼ彼が書いている。ただ、もう一人見逃せない人物がいる。2001年の出世作『A Livingroom Hush』でプロデューサーとして加わったJørgen Træenだ。Larsは後に「Jørgenがバンドを丸ごと変えた」と振り返っている。録音した素材をスタジオで取り出してひっくり返し、コンピューターの中で組み替える――サビを変え、Aメロを変え、ほとんどリミックスするようなやり方でバンドを別の方向へ押し出したのだという。生演奏をそのまま記録するのではなく、録ってから作曲し直すという発想自体、もとはロックやエレクトロニック・ミュージックの制作文化のものだ。Jaga Jazzistの「ロック的な構築性」は、個々の奏者の弾き方である以前に、この制作プロセスに根を張っている。

『A Livingroom Hush』は当初ノルウェー国内でWarnerから出ていたが、ほどなくColdcutが主宰するエレクトロニカ/ヒップホップの名門レーベルNinja Tuneが世界配給を引き受けたことで、国際的な評価を得ることになった。ジャズの専門レーベルではなく、エレクトロニック・ミュージックの震源地から世界に見出された、という出自もまた、この先の話を先取りしている。

この編成の特異さは、録音物だけでなく実演にも表れている。ライブレビューには、メンバーがあまりに頻繁に楽器を持ち替えるため、誰が何を弾いているのか追いきれない、という証言が繰り返し出てくる。あるレビューは、これほど多くのマルチ楽器奏者を擁するバンドは70年代のプログレバンドGentle Giant以来だと評した。たとえばサックス奏者がふいに鍵盤に回り、ギタリストがヴィブラフォンに向かう――この流動性があるからこそ、大編成でありながら重量級の図体にならず、ロック的なスピード感を保っていられるのだろう。

「Day」——電子的な精度でドライブ感をシミュレートする

2002年の『The Stix』に入っている「Day」は、3分ほどの短い曲だが、聴くたびに独特の疾走感にさらわれる。

Jaga Jazzist - Day

ギターは和声を弾くのでも歌わせるのでもなく、分散和音を反復パターンとして鳴らしている。和声が「機能」ではなく「テクスチャの材料」として扱われている時点で、これはすでにロックの発想だ。打ち込みのドラムはグリッドに正確に張りつき、ジャズのスウィングが持つ揺れによる推進力とはまるで別種の、精度による直進的な速さを生んでいる。『The Stix』はドラムマシンと生ドラムがせめぎ合う、バンドの中でもっとも電子寄りの一枚として作られたアルバムだから、この質感は偶然ではない。そしてテーマとなる旋律も、ジャズのように提示されてから変奏・分解されていくのではなく、刷り込みの素材として短いブロックの中で反復され、そのブロックごと高速に次へ切り替わっていく。一つ一つのセクションの中では反復によって旋律を定着させながら、セクションそのものは矢継ぎ早に組み替えられていく――このミクロな反復とマクロな高速展開の二重構造が、「Day」をポストロック的な時間の流れ方に近づけている。

すべてを束ねる言葉を選ぶなら、グルーヴではなくドライブだと思う。グルーヴが同じ循環の中で心地よく揺れ続ける快楽だとすれば、ドライブは同じ場所に留まらず前へ前へと押し出され続ける直進の快楽だ。ビッグバンドのソロが同じコード進行を何周も回り続けられるのは、循環の快楽が土台にあるからだが、「Day」にはその余裕がない。すべての要素が、ただ前に進むことにのみ奉仕している。

「Oslo Skyline」——生演奏で音の飽和の限界に挑む

2005年の『What We Must』に収められた「Oslo Skyline」になると、事情が少し変わってくる。

Jaga Jazzist - Oslo Skyline

このアルバムをバンド自身が「自分たちのロック・アルバム」と呼んでいる。90年代初頭の英国シューゲイザーから70年代プログレッシブ・ロックまでを股にかけた、彼らなりのロック様式への挑戦だったのだという。プロデューサーにはPluramonのMarkus Schmicklerを迎え、My Bloody Valentineに触発されたドローン・ロック的な方向性が意識されていたとも伝えられている。当時のSalonのレビューは、このトラックについて、ジャズ的な要素が後退し、スウィープするようなメロディが前面に出た響きを、M83やGodspeed You! Black Emperorになぞらえていた。

面白いのはここからだ。「Day」が電子的な精度によってロックのドライブ感をシミュレートしていたのに対し、「Oslo Skyline」は木管、金管、複数のギター、打楽器を含む大編成の生演奏で、ロック的な音の飽和感そのものを物理的に再現しようとしている。本来シューゲイザーの音の壁は、スタジオでのオーバーダブと歪みの積層によって作られるものだ。それを生身の人間の演奏でやろうとすれば、電子的なグリッドが持っていた安定性はもう使えない。飽和と崩壊の境界線を、生演奏の物理的な限界の中で綱渡りすることになる。この曲を聴いていて感じる張りつめた感じは、まさにその綱渡りから来ているのだと思う。

同じ「ロックに近づく」という運動でありながら、「Day」は電子的な代替によって、「Oslo Skyline」は生身の限界突破によって、それぞれ正反対の道からそこに辿り着いている。大編成という器の可能性を、両極端な形で試した二つの実験だったと言っていい。

大編成という装置

こうして見ると、Jaga Jazzistの音楽が持つ異質さは、ジャズのビッグバンドにロックが後から入り込んだ結果ではないのだと思う。もともとジャンルの純粋性を目指す気のなかった人間たちが、大編成という規模を手にしたことで、木管と金管にはジャズの即興の余地を残しながら、ギターとドラムにはロックの構築的な語法を持ち込むという、本来なら両立しにくい二つの原理を同じ場所に住まわせることに成功してしまった。小編成のジャズカルテットにも、コンパクトなロックバンドにも、この同居は構造的に難しい。大編成であること自体が、彼らの音楽をどのジャンルにも属させない装置になっている。

ここでは、彼らのロックへの接近がもっとも先鋭化していた時期の2曲を取り上げたが、2015年の『Starfire』や2020年の『Pyramid』に至るまで、彼らはジャンルの境界を意識しないまま音楽を作り続けている。彼らのディスコグラフィーには、他にも完成度の高いアルバムが数多く存在する。興味を持った方は、ぜひ配信サービスなどで聴き比べてみてほしい。