もう一つの古楽——中世アラブ音楽を聴く

グレゴリオ聖歌の静けさ、ジョスカン・デ・プレの緻密な対位法、デイヴィッド・マンロウが蘇らせた中世・ルネサンスの器楽。ヨーロッパの「古楽」は、いつでもプレイリストの中に居場所を持っている。

けれどふと思う。同じ時代、地中海の向こう側では、どんな音が鳴っていたのだろうか。

そこにあったのは、ヨーロッパの古楽とまったく地続きの時代を生きながら、まったく違う道を選んだ、もう一つの正統だった。

音楽的特徴の違い

ヨーロッパ——声部の絡み合い

ヨーロッパの教会は長らく楽器に懐疑的で(オルガンくらいが例外だ)、そのぶん声楽だけで多くを語ろうとした。グレゴリオ聖歌の単旋律から、ノートルダム楽派を経て、ジョスカンやパレストリーナの模倣対位法へ——複数の独立した声部が、互いに主題を受け渡しながら絡み合う書法へと進んでいく。声部はそれぞれ独立していながら、和声的には支え合う。緻密に組み上がる、音の建築物のような世界だ。

アラブ——旋律のうねりとタラブ

アラブの古典音楽は、まったく別のベクトルを洗練させた。ウード、カーヌーン、ナイが同じ一つの旋律を分かち合う。ただし全員が寸分違わず同じ音をなぞるわけではない。それぞれの楽器や声が、自分の特性に合わせたトリルや微分音の陰影を滑り込ませながら、一本の太い旋律線を重ね合わせる。これが「ヘテロフォニー」だ。西洋の、独立した声部が絡み合うポリフォニーとは、根本から響きの原理が違う。

音律もまた違う。13世紀の理論家サフィー・アッディーンは、弦の比率をもとに17の音を割り出し、西洋の全音・半音よりずっと細かい陰影を音楽に持ち込んだ。西洋が均等な平均律にたどり着くのは、実はずっと後、18世紀になってからのことだ。

この音楽の核にあるのがタラブ、音楽が聴き手にもたらす恍惚だ。ただしタラブは、一定の拍に乗って身体を揺さぶるようなものというより、むしろ拍から自由になった瞬間にこそ立ち上がる。タクスィームやマウワールと呼ばれる無拍子の即興——ドローンの上を、旋律が自在に漂いながら、少しずつ感情の温度を上げていく。ウンム・クルスームが一つのフレーズを何時間もかけて歌い変え続けたように、タラブとは、時間の枠組みそのものから解き放たれることによって訪れる高揚なのだ。

楽譜が残したもの、名が残ったもの

なぜ一方は精密な楽譜として残り、もう一方は口頭伝承に委ねられたのか。

ヨーロッパ——記譜という関門

ヨーロッパの教会は、離れた土地の聖歌隊に同じ聖歌を寸分違わず届ける必要があった。そのために記譜法を磨き上げていった。だがこの恩恵にあずかったのは教会音楽の作曲家たちだけだった。デイヴィッド・マンロウの名盤『Instruments of the Middle Ages and Renaissance』を聴くと、収録された舞曲の多くが「Anon.(作者不詳)」であることに気づく。羊飼いの旋律もバグパイプの舞曲も、実際には親しまれていたはずなのに、誰が作ったかを書き残す価値があるとは見なされなかった。

例外は、著名な作曲家の手が入った時だ。「Scaramella va alla guerra」はもともと16世紀イタリアの流行歌だったが、ジョスカン・デ・プレらがこれを編曲したことで、初めて楽譜として記録され、後世に届いた。

Scaramella va alla guerra - David Munrow David Munrow & The Early Music Consort of London, “Scaramella va alla guerra” (The Art of the Netherlands)

アラブ——名は残り、音は伝承された

アンダルシアは、8世紀から15世紀までイベリア半島に存在したイスラム支配地域で、地中海を挟んで北アフリカとキリスト教ヨーロッパの間に位置する、文字通りの十字路だった。ムスリム・キリスト教徒・ユダヤ教徒が入り混じって暮らし、9世紀にバグダードから渡ってきたズィルヤーブのような音楽家を通じて、東方イスラム世界の音楽文化がここで独自の混淆を遂げていく。

アラブ・アンダルシアの音楽は、これとは正反対の形で生き延びた。演奏そのものを記録した楽譜は一切残っていない。アル・ファーラービーやサフィー・アッディーンの著作は、音程比率を論じた理論書であって、演奏の記譜ではなかった。

その代わりに、この音楽は「人」を記録した。歌い手の名前は文献に残ったが、記譜の難しさゆえ、その音楽自体は口頭伝承として受け継がれてきた。1492年、イベリア半島最後のイスラム王朝グラナダが滅び、そこに暮らしていたムスリムたちがモロッコへと逃れたこと、そして宮廷による庇護、現代の音楽学的な復元作業を経て、今も北アフリカで生きた伝統として続いている。エドゥアルド・パニアグアのような演奏家たちが取り組んでいるのが、その復元の作業だ。

だから、僕らが今日耳にする「中世アラブ音楽」は、厳密に言えば中世そのものの音ではない。楽譜という固定点を持たないこの音楽は、何世代もの口頭伝承を経て少しずつ形を変えながら、それでも生き延びてきたものの、現在の姿だ。ヨーロッパの古楽が、書き残された一点の楽譜から過去を再構築するのに対し、アラブの古楽は、変化し続けてきた伝統そのものが、今なお息をしている状態を聴くことに近い。同じ「古楽」という言葉で括られていても、そこにある時間との向き合い方は、まったく別のものなのだ。

Camino Orgullosa - El Arabi Ensemble / Eduardo Paniagua El Arabi Ensemble & Eduardo Paniagua, “Camino Orgullosa” (Wallada & Ibn Zaydún)

11世紀コルドバの王女ワッラーダと、詩人イブン・ザイドゥーンの恋愛詩に基づく、格式高いムワッシャハの一曲。

Bitayhí: Zejel "Oh Cría De Gazela", Zejel "Este Amor" - Calamus / Eduardo Paniagua Calamus & Eduardo Paniagua, “Bitayhí: Zejel 'Oh Cría De Gazela', Zejel 'Este Amor'” (The Splendour of Al-Andalus)

同じパニアグアの仕事でも、こちらはゼジェルという口語アラビア語の、より大衆的な詩形式による録音だ。格式高いムワッシャハと並べて聴くと、両者の違いがよく分かる。

ちなみにこのムワッシャハは、南フランスのトルバドゥールによる宮廷愛の詩の成立に影響を与えたのではないか、という説もある。決着のついた話ではないが、もしそうだとすれば、記譜されなかったアラブの歌は、形を変えてヨーロッパの世俗音楽の血肉になっていたことになる。

おわりに

ヨーロッパの教会音楽は、作曲家個人が権威づけられ、記譜という媒体を通じて広く流通し、20世紀にはNASAが選んだボイジャーのゴールデンレコードにまで乗った。だがそれは「教会音楽」という一つの層の話にすぎない。世俗の器楽や民衆の旋律は、ヨーロッパでも大半が名もなきまま埋もれている。

アラブの音楽は、歌い手個人の名前こそ文献にしっかり残ったが、演奏そのものは記譜されず口頭伝承に委ねられ、結果として西洋の古楽ほど広くは知られていない。それは音楽としての優劣ではなく、それぞれが置かれた条件の違いにすぎない。

拍から自由になった瞬間に立ち上がる高揚、微分音の陰影、そして名もなき歌い手たちがそれでも個人として記録され続けた歴史——この音の世界には、耳を傾けるだけの理由がある。

けれど現代を生きる僕らにとって、この二つの古楽の間に、それほど大きな隔たりはないのかもしれない。グレゴリオ聖歌の響きも、マカームの旋律も、どちらも今の日常からは遠く隔たった、異質な音だ。その異質なものに出会い、面白がる。その体験自体は、どちらの古楽を聴くときも、まったく等価なのだと思う。