コクトー・ツインズ ── クランベリーズが教えてくれた扉の向こう側

高校生の頃、クランベリーズと出会った。Billboardチャートを紹介するテレビ番組で流れてきたドロレス・オライオーダンの声は、聴いた瞬間から耳に貼りついて離れなかった。あの独特の震え声、リバーブがかかったギター、儚さと力強さが共存するサウンド。当時の自分にとって、クランベリーズは「これ以上ないもの」だった。

大人になってからのある日、ラジオから一曲が流れてきた。リバーブのかかったギター、こぶしをまわすような歌声、重なり合うコーラス──あまりにもクランベリーズに似ていて、思わず耳を疑った。しかしそれはクランベリーズではなかった。コクトー・ツインズ(Cocteau Twins)という、クランベリーズより10年も前に同じ音を作り上げていたバンドだった。

私がクランベリーズにハマるきっかけになった最も好きな曲

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スコットランドの辺境から生まれた「夢の音」

コクトー・ツインズは1979年から1997年にかけて活動したスコットランドのロック・バンドだ。結成の地は、スコットランド中部の工業都市グランジマウス──ロビン・ガスリーが後年Billboardのインタビューで「グランジマウスはニュージャージー州エリザベスのようなもので、化学精製工場があるだけで全く風光明媚ではない」と語ったほどの場所だった。その灰色の町から、20代前半の若者たちが逃げ出すように音楽を始めた。

バンドはロビン・ガスリー(ギター、ドラムマシン)とウィル・ヘギー(ベース)によって結成され、1981年にエリザベス・フレイザー(ボーカル)が加入した。1983年にはヘギーに代わりマルチ奏者のサイモン・レイモンドが参加し、もっとも知られるラインナップが完成した。

フレイザーがバンドに加わった経緯は偶然に近い。ガスリーとヘギーが地元のディスコで踊っている彼女を見かけ、歌えるかもしれないとバンドに誘ったのだ。当時彼女は17歳で、自分が歌手だとは思っていなかった。

音の核心を生み出したのはガスリーの「ギターへの無知」だった。電気技師としての訓練を受け、エレクトロニクスへの興味を持っていたガスリーは、ギターにファズボックスやエフェクト・ペダルを通して独自の音を探り始めた。従来の奏法が身についていなかったぶん、彼の試行錯誤は誰も思いつかない方向へ転がった。コーラス、フランジャー、ディレイ・ユニットを重ね合わせた密な音の層が、バンド特有のエーテリアルなサウンドを生み出した。

ガスリー自身はその狙いをこう語っている。「パンクのエネルギーを持ちながら、もっと繊細で美しい音楽を作りたかった。フィル・スペクターの輝くようなサウンド。自分がちゃんと弾けるように聴こえるギターを作りたくて、The Pop GroupやRowland S. Howardのような美しいノイズを作るギタリストに影響を受けた。」

そしてフレイザーのボーカル。彼女は声の超越的な音を歌詞の意味よりも優先させ、「言葉は歌うまでまったく意味を持たない。歌うために歌った」と語っている。彼女の歌声は英語なのに解読不能に聴こえ、言語の意味を超えて情動に直接触れてくるものだった。このスタイルは「グロッソラリア(異言歌唱)」と呼ばれ、コクトー・ツインズをほかのすべてのバンドから区別する最大の特徴となった。

バンドは1982年にレーベル4ADと契約し、デビュー・アルバム『Garlands』をリリース。バンドはドリーム・ポップという1980年代のオルタナティブ・サブジャンルを切り開き、後のシューゲイザーを定義づける存在となった。

チャートと「アンダーグラウンド」のあいだで

コクトー・ツインズのキャリアは、商業的な数字だけでは語れない矛盾を抱えていた。

UKアルバム・チャートで見ると、1984年発表の『Treasure』は最高29位、1986年の『Victorialand』は10位、1988年の『Blue Bell Knoll』は15位、そして最大のヒット作となった1990年の『Heaven or Las Vegas』は最高7位を記録した。

しかし同時期の米Billboardでは、最高傑作と名高い『Heaven or Las Vegas』ですら最高99位にとどまった。イギリスのインディー・シーンではアイコン的な存在でありながら、アメリカではほぼ無名という二重の地位。これがコクトー・ツインズの特異な立ち位置だった。

批評家たちは「クランベリーズやEnyaのような、エーテリアルなサウンドを探求するミュージシャンたちに影響を与えたアンダーグラウンドの重鎮」として彼らを評価したが、彼らは商業的な主流からは常に少し距離を置いていた。

それでも彼らの音楽的な磁場は確実に拡大していた。Madonnaはコクトーツインズとフレイザーを「愛している」と公言し、プリンスはバンドを自身のレーベルに迎えようとした。偉大なミュージシャンたちが静かに傾倒していたのだ。

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「インスピレーション」の連鎖 ── コクトー・ツインズを愛するミュージシャンたち

コクトー・ツインズの影響を公言しているミュージシャンの顔ぶれは圧倒的だ。ビョーク、イモジェン・ヒープ、M83、アニー・レノックス、ラナ・デル・レイ、トーリ・エイモス、スローダイブ、ライド、プリンス、The Weeknd、マッシヴ・アタック、The Sundays、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、レディオヘッド、デフトーンズ、レジー・ワッツ──いずれもコクトー・ツインズ、とりわけエリザベス・フレイザーの声が自分の音楽に深い影響を与えたと語っている。

なかでも注目すべき証言がある。キュアーのロバート・スミスはコクトー・ツインズのアルバム『Treasure』を「これまで聞いた中で最もロマンティックな音」と称え、その後リリースされたキュアーの名盤『Disintegration』にはトレジャーのギター・サウンドの影が色濃く残っている。

シューゲイザーの雄スローダイブのギタリスト、クリスチャン・サヴィルは「ピアリー・デュードロップス・ドロップス」を初めて聴いたときのことをこう語る。「そのボーカルと言葉は、今まで聴いたことのないものでした。ギターは巨大で神秘的だった。」同じくライドのベーシスト、スティーヴ・クァーラルトは「コクトー・ツインズはテープに記録されたもっとも素晴らしい音楽のいくつかを残した。ロビンのきらめくギターこそがシューゲイザーというジャンルのすべての始まりだ」と証言している。

ポストロックの世界でも影響は大きく、Explosions in the Skyのクリス・フラスキーはコクトー・ツインズがバンドのポストロックのDNAの一部だと語っている。後日、シモン・レイモンドはExplodions in the Skyに惚れ込み、自身のレーベルBella UnionでUK盤をリリースするほどになった。

クランベリーズとコクトー・ツインズ ── 影の系譜

冒頭の体験に立ち返ろう。私がラジオで感じた「クランベリーズに似ている」という直感は、音楽評論の世界では共通認識だった。

その連鎖を語るうえで欠かせないのが、コクトーツインズとクランベリーズのあいだに位置するThe Sundaysというバンドだ。1988年にブリストル大学でハリエット・ウィーラー(ボーカル)とデヴィッド・ガヴリン(ギター)が出会い結成されたこのイングランドの4人組は、翌1989年にシングル「Can't Be Sure」でデビューするや、英音楽誌メロディー・メーカーの批評家に「今まで聴いた中で最高のもの」と評され、レーベルの争奪戦が起きるほどの衝撃を与えた。1990年にリリースされたデビュー・アルバム『Reading, Writing and Arithmetic』はUKアルバム・チャートで4位を記録した。コクトーツインズのエーテリアルなサウンドとThe Smithsのジャングリーなギターを融合させたようなサウンド、そしてウィーラーの透き通った歌声は、批評家からたびたび「コクトーツインズとThe Smithsの遺伝子を受け継いだバンド」と形容された。彼らは3枚のアルバムを残したのち1997年以降は沈黙を保っているが、その音楽は今もドリーム・ポップの古典として愛聴されている。

1990年代のローリング・ストーン誌はクランベリーズについてこう書いている。「彼らはThe Sundaysに非常によく似ており、The Sundaysはコクトーツインズに強く似ている。彼らが成し遂げたのは、その審美性を自分たちのものにしたことだ。」

ドロレスとギタリストのノエル・ホーガン自身は、コクトー・ツインズからの影響を明確に語ってはいない。むしろノエルはコクトー・ツインズとの類似性を指摘されると「もし他のバンドに似ているとしたら、それは偶然だ」と答えていた。しかし彼らの音楽が、コクトー・ツインズが10年かけて作り上げたドリーム・ポップの美学をアイルランドの土壌に植え直したものであることは、誰の耳にも明らかだ。

Sound On Sound誌はクランベリーズを「コクトーツインズの影響を受けたThe Sundaysの足跡をたどり、1990年代初頭にエヴォケイティブなドリーム・ポップで急速に名声を高めた」バンドと評している。つまりコクトーツインズ→The Sundays→クランベリーズという一方向の影響の連鎖だ。

また、Salon誌の評論は「クランベリーズのアルバム『No Need To Argue』に収録された”The Icicle Melts”はコクトー・ツインズへのオマージュだ」と指摘している。ドロレス本人が意図したかどうかにかかわらず、その血脈は曲のタイトルにまで及んでいた。

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コクトー・ツインズは「フォロワー」をどう見ていたか

自分たちの音楽が多くのバンドに模倣されることについて、ガスリーは複雑な感情を持っていた。

ドラウンド・イン・サウンド誌のインタビューでガスリーはこう語った。「自分を真似しようとしているバンドがいるのは分かる。でもそれは、新しいものを作ることへの敬意ではなくなっているんだ。コクトー・ツインズを明日再結成すると言えば誰もがすごいと思うだろうけど、私が今作っているものについてはほぼ無視されている。それが理解できない。」

また別のインタビューでは、「コクトー・ツインズはよくシューゲイザー・ムーブメントのバンドと比較されるが、私たちはそのシーンの一部ではなかった。私はエレクトロニクスのアイデアを押し進めていた。ギターを普通のエフェクター一個に通すのではなく、何個も重ねた。それが自分のアイデアで、それをどこまでも追求したかったんだ」と語っている。

一方でコクトー・ツインズの公式サイトは「他の人々がその音を再現しようと試みてきたが、成功したのはごくわずかだ。成功したアーティストたちはむしろ彼らとは似ていない──ただ何かエッセンスを受け取り、模倣でなくインスピレーションとして昇華した(Beach House、Goldfrapp、Sigur Rós、M83など)。コクトー・ツインズはドリーム・ポップとシューゲイザーというジャンル全体の基盤となった」と記している。

商業的成功 vs. 音楽的影響力

クランベリーズはコクトー・ツインズとは比較にならないほどの商業的成功を収めた。デビュー・アルバム『Everybody Else Is Doing It, So Why Can't We?』だけで全世界数千万枚を売り上げ、「Zombie」「Linger」「Dreams」は世代を超えて口ずさまれている。コクトー・ツインズの最大のヒット作『Heaven or Las Vegas』が英国で23万5000枚を売ったのと桁が違う。

しかし音楽的な影響力という観点では、話が逆転する。

コクトー・ツインズが作り上げたリバーブとエフェクトの美学は、ドリーム・ポップ、シューゲイザー、インディー・フォーク、アンビエント・R&Bに至るまで、21世紀の膨大な音楽のDNAに書き込まれている。クランベリーズがクランベリーズであることができたのも、コクトー・ツインズが10年前にその美学を確立していたからだ。

スローダイブのネイル・ハルステッドはこう語る。「彼らのサウンドや声のスタイルを模倣したトラックはたくさん聴いてきたが、コクトー・ツインズの美しく構成されたコード進行、転調、メロディック・フックを含めているものは少ない。声、ギター、楽曲──それぞれが単独で巨大で深く独自のものだ。私たちのほとんどは、その表面をかすめているに過ぎない。」

クランベリーズの成功は疑いなく偉大だ。しかし音楽の文脈を問うなら、こう言えるかもしれない──クランベリーズはコクトー・ツインズが建てた家に住んだ。そしてその家の設計図は、今もあちこちで引き継がれている。

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40年後も色褪せない美しさ

コクトー・ツインズの公式サイトにはこんな一文がある。「そのサウンドと録音のクオリティの時を超えた性質の証として、多くの新しいファンが彼らの物語が1979年に始まったことすら知らない。」

それは最大の賛辞だと思う。いつ作られたかを知らなくても、聴いた人間が「今の音楽だ」と感じてしまう音楽。コクトー・ツインズのアルバムは、40年以上経った今でもそういう音楽だ。

ロビン・ガスリーはかつてこう語った。「リズと一度でも録音できるなら、すぐにでもそうする。でも自分からそれを求めることはしない。もしかしたら化学反応はもう存在しないのかもしれない。でも少なくとも、世界最高の歌手と仕事をした」と。

高校時代の私はクランベリーズという「扉」を通してドリーム・ポップに出会った。でも大人になってラジオで耳にしたコクトー・ツインズは、その扉の向こうに広がる世界が、どれほど深く、美しく、古くて新しいものかを教えてくれた。