古楽を歌うサックス:ヤンガルバレイク

概要: サックスは1840年代に発明された楽器なのに、それで16世紀の声楽曲を演奏するとどうなるか。この記事では、ルネサンス・ポリフォニーをサックスで再解釈した驚異的な録音と、たまたま修道院の壁の中に埋め込まれていたために戦火を生き延びた中世の歌曲集の話を並べる。偶然の保存と意図的な越境が交差するところに、初期音楽の最も不思議な魅力がある。

出会いの起源——アイスランドの荒野で

1991年、ECMレコード創設者のマンフレート・アイヒャーはアイスランドで映画を撮っていた。Max Frischの小説を原作とした作品で、その荒涼とした溶岩地帯の風景の中で、彼はある組み合わせに繰り返し耳を傾けていた——スペイン・ルネサンスの作曲家クリストバル・デ・モラレスの聖歌と、ノルウェーのサックス奏者ヤン・ガルバレクの即興演奏だ。

異なるジャンル、異なる時代。しかしその二つの音楽は、アイスランドの荒野という同じ空間の中で、奇妙なほど自然に共鳴した。アイヒャーはその確信を胸に、1993年、オーストリアのSt. Gerold修道院でガルバレクとヒリアード・アンサンブルを引き合わせた。

その日の午後、ヒリアード・アンサンブルがモラレスの「Parce mihi Domine」を歌い始めて3〜4分が経ったとき、ガルバレクは静かにサックスを取り出し、何も言わず演奏に加わった。全員が呆然とするまま最後まで演奏し、曲が終わって沈黙が降りた後、アイヒャーは目に涙を浮かべてこう言った——「すぐに録音しなければならない」。

1994年、アルバム『Officium』がリリースされた。

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ヤン・ガルバレクとは何者か

1947年、ノルウェーのミセン生まれ。14歳のときにラジオでジョン・コルトレーンを聴き、その場でサックスを志した。独学でコルトレーンを模倣し、1962年にはアマチュア・コンテストで優勝。その後、アメリカの作曲家・理論家ジョージ・ラッセルに師事し、ECMレコードの最初のリリース(1970年のデビュー作Afric Pepperbird)からレーベルの顔となった。

ガルバレクのサックスの声は独特だ。鋭いエッジを持ちながら、長く伸びる持続音——それはイスラムの礼拝の呼びかけを思わせると評されることもある。しかしその根底にあるのは、ノルウェーの民族音楽との深いつながりだ。トリプティコン(1972年)が彼の演奏にノルウェー民謡を取り入れた最初の作品で、その方向はアメリカのトランペット奏者ドン・チェリーに後押しされたものだった。「私はノルウェーの民族音楽に結びついた特定の語彙やフレーズに縛られている」とガルバレク自身が語っている。

テナーサックスでノルウェー民謡を演奏するとき、彼のマイクロトーナルなピッチベンドはインドのラーガの緩やかな動きを思わせる——それはジャズの平均律的な音程ではなく、歌い手が声で音を揺らすような微細な動きだ。サックスでありながら、まるで声楽的な何かが宿っている。サックスでありながら、まるで声楽的な何かが宿っている。この奏法こそが、ヒリアード・アンサンブルの声楽ポリフォニーとの化学反応を可能にした鍵だった。

ガルバレクの音楽世界は、単なるジャズ・サックス奏者の枠を遥かに超え、自身のアイデンティティや北欧のルーツに深く根ざした「作曲」へと結実していく。その明確な一側面を示しているのが、1993年のアルバム『Twelve Moons』だ。ここではノルウェーの先住民族サーミの伝統歌(ヨイク)や、同郷の作曲家グリーグのモチーフなどを自らの語彙で再構築し、豊穣なオリジナル作品へと昇華させている。

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ヒリアード・アンサンブルとは何者か

1974年に設立されたイギリスの男声四重奏団。名前はエリザベス朝の細密画家ニコラス・ヒリアードに由来する。中世・ルネサンス期の音楽を専門とし、グレゴリオ聖歌から16世紀のポリフォニーまでを研究・演奏してきた古楽の権威だ。一方でアルヴォ・ペルトなど現代作曲家の作品も積極的に取り上げ、ECMとも長い関係を持つ。

メンバーはカウンターテナーのデヴィッド・ジェームズ、テナーのロジャース・コヴィー=クランプとジョン・ポター、バリトンのゴードン・ジョーンズの4人。2014年に41年の活動に幕を閉じた。

バッハは生涯にわたり多くの教会音楽(聖歌)を残しました。一見、楽器だけの曲に見えるこの「シャコンヌ」ですが、実はその複雑な旋律の裏に、亡き妻への祈りを込めた聖歌が暗号のように隠されていると言われています。古楽の権威ヒリアード・アンサンブルが、その隠された歌声を重ね合わせることで、名曲に全く新たな命を吹き込んでいます。

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なぜサックスが「歌う」のか——3つの理由

1. 民族音楽的なピッチの揺らぎ

ガルバレクは音程を固定した点として鳴らさない。ノルウェーの民謡奏法から体に染み込んだ「声のように音を揺らす」感覚が、サックスのラインに肉声的な質感を与えている。ルネサンスの声楽ポリフォニーが持つモーダルな音階構造と、この微分音的な奏法が自然に溶け合う。

2. 修道院の残響

録音はオーストリア・フォアアールベルク州のSt. Gerold修道院で行われた。石造りの空間が生み出す長い残響は、声楽とサックスを同じ音響空間に包み込み、境界を曖昧にする。ガルバレクのサックスは「第五の声」として、4人の声楽家と同じ空気の中で響く。

3. 楽譜を見ないという完全な即興

ガルバレクはヒリアードのスコアを一切見ない。彼が必要とするのは「何調で歌うか——♯が2つか♭が2つか——それだけ」であり、あとはすべて耳だけで演奏する。その即興は予め構成されたものではなく、声楽が生み出す瞬間の感情に反応するリアルタイムの対話だ。だからこそ、どのテイクも同じにならず、サックスの声は「歌の合間を縫う息遣い」のように聴こえる。


モラレスという素材

アルバムの中心にあるのはクリストバル・デ・モラレス(1500年頃〜1553年)——セビリア出身でローマ教皇庁の聖歌隊に10年間仕えた、スペイン・ルネサンスを代表する作曲家だ。彼の「Parce mihi Domine(主よ、我を許したまえ)」は、死者のためのミサ(Officium defunctorum)から取られた曲で、その沈鬱で厳粛な美しさは500年後の石造りの修道院でも変わらず息づいている。

アイヒャーがアイスランドの荒野でモラレスとガルバレクを同時に聴いていたのは偶然ではなかった。どちらも「大きな沈黙の中に置かれた、細い旋律の声」という点で一致していたのだ。

もう一つの奇跡——Cantigas de Santa Mariaという「消えなかった民謡」

『Officium』が聖歌とジャズの出会いであるとするなら、もうひとつの録音はさらに根源的な問いを立てている。13世紀スペインで庶民や吟遊詩人が歌った歌が、なぜ800年後に私たちの耳に「新しく」聴こえるのか。

楽譜として残ったという奇跡

1988年10月、モロッコのフェズにあるムネビ宮殿で、ひとつの録音セッションが行われた。アメリカの古楽指揮者・リュート奏者ジョエル・コーエン率いるCamerata Mediterranea、フェズ・アンダルシア管弦楽団(指揮:Abdelkrim Rais)、そしてモロッコの音楽家Mohammed Briouelが一堂に会した。曲目は13世紀カスティリャ王アルフォンソ10世(「賢王」)のもとで集成された聖母マリアへの歌、カンティガス・デ・サンタ・マリア(Cantigas de Santa Maria)。

カンティガスとは何か。13世紀のガリシア=ポルトガル語で書かれた420篇の詩と楽曲の集成で、聖母マリアへの賛美歌と奇跡物語からなる。作曲者の大部分は無名だ。宮廷に集まったイスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒の詩人・吟遊詩人・音楽家たちが生み出した歌を、アルフォンソ10世が王の権威をもって収集・集成した。だからこそ今日まで残った。

重要なのは、これらが楽譜として残っているという事実だ。4つの写本(エル・エスコリアルに2冊、マドリード国立図書館に1冊、フィレンツェに1冊)が現存し、それぞれに音楽記譜法が記されている。中世の記譜法は現代のものとは異なるため解読には専門知識を要するが、少なくとも旋律の輪郭は読み取ることができる。

これは奇跡に近い。同時代に貴族や大衆のあいだで歌われた無数の旋律は、楽譜なき口承として消えた。しかしカンティガスは王の庇護のもとで写本に刻まれ、8世紀の時間を超えて届いた。

コンビビエンシア——共存の時代が生んだ音楽

13世紀のスペイン、特にカスティリャとアンダルシアは、「コンビビエンシア(共存)」と呼ばれる稀有な文化的状況にあった。キリスト教・イスラム教・ユダヤ教の三宗教が同じ空間で共存し、互いの文化が交差していた。この状況はレコンキスタ(国土回復運動)の進行とともに複雑な緊張をはらんでいたが、少なくともアルフォンソ10世の宮廷は、その多文化的な交差点として機能していた。

カンティガスの音楽には、グレゴリオ聖歌のモードとアラブ=アンダルシア音楽の微分音的な色彩が混在している。ウード、カヌン(ツィター系弦楽器)、ダルブッカ(ゴブレット型太鼓)が声楽と絡み合う。これはキリスト教の祈りの音楽でありながら、イスラムの楽器と音階を纏っている。1988年のフェズでの録音が、ヨーロッパの古楽アンサンブルとモロッコのアンダルシア音楽の奏者を同じ部屋に置いたのは、その歴史的な混交の再現でもあった。

ジョエル・コーエンという案内人

1942年、ロードアイランド州プロビデンス生まれ。ブラウン大学を経てハーバード大学で作曲を学んだ後、パリに渡りナディア・ブーランジェに師事した。1968年にボストン・カメラータの音楽監督に就任し(2008年まで40年間在任)、その後1990年にはCamerata Mediterraneaを設立した。

アメリカにおいてコーエンはボストン・カメラータの長期リーダーとして知られているが、大西洋の東側ではリュート奏者・弾き語り名手としての評価が高い。コーエン自身がリュートを弾きながら指揮・歌唱を行うスタイルは、中世やルネサンスの吟遊詩人的な音楽の在り方に直結している。フランス国立ラジオでの音楽プロデューサーとしての経験、エジソン賞(オランダ)の受賞、フランス芸術文化勲章(オフィシエ)の叙勲がその国際的評価を示している。

カンティガスの録音がEdison Prize 2000を受賞したことは、この「古いが新しい」音楽が専門家からも高く評価されたことの証だ。

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なぜ800年後に「新しく」聴こえるのか

楽譜として残ったことは保存の奇跡だが、それだけでは「現代の耳に新鮮に響く」理由にはならない。

理由のひとつは解読の不確かさだ。中世記譜法にはリズムの情報が曖昧にしか残っていないため、演奏者はある程度の解釈的自由を持って演奏する。厳密な再現ではなく、発掘と再創造のあいだにある音楽だ。

もうひとつは混交そのものの現代性だ。ウードとリュート、アラブの打楽器とヨーロッパの弦楽器が交差するカンティガスの音響は、現代のワールドミュージックやクロスオーバーの感覚とどこか通底している。しかしそれは計算された「融合」ではなく、共存が当然だった時代の自然な産物だ。その無計算さが、かえって現代の耳を驚かせる。

アルフォンソ10世の宮廷で名もない歌い手が口にしていたメロディが、フェズのムネビ宮殿でモロッコとヨーロッパの音楽家によって息を吹き返し、2000年代の私たちの耳に届く。楽譜という細い糸が、その800年の橋を架けた。

記録として

Officiumは1994年のリリース後、クラシック・チャートだけでなくポップ・チャートにも登場し、ECM史上最大の売り上げとなる150万枚以上を記録した。批評家はこのアルバムを「ジャズでも古楽でもない、名前のない何か」と呼んだ。ヒリアードのメンバー、ジョン・ポターは言った——「これは何の音楽か?私たちにはわからない。サックス奏者と声楽四重奏とレコード・プロデューサーが出会って音楽を作ったとき、そこで起きたことだ」と。

その後20年間で約1000回のコンサートが行われ、続編としてMnemosyne(1999年)、Officium Novum(2010年)、Remember Me, My Dear(2019年)がリリースされた。