アンビエントの設計者 ── Alex SomersがSigur Rósにもたらしたもの

Sigur Rósの音楽について語るとき、人はJónsíのファルセット、弓で弾かれるギター、ヴォンレンスカ語の意味を持たない音節が揺蕩う響きを思い浮かべる。しかしその背景には、アイスランドの外から来たひとりのアメリカ人アーティストの存在がある。Alex Somers。バンドの正規メンバーではないが、Sigur RósのフロントマンであるJónsíの元恋人であり、2005年以降のSigur Rósのアンビエント的深化において誰より重要な役割を担い続けた人物だ。

ボストンでの邂逅

Alex Somersは1984年、メリーランド州ボルティモア生まれ。13歳のとき、クリスマスにもらったギターとともにTascamの4トラック・レコーダーを手に入れ、録音という行為そのものに魅了された。「楽器を弾くことではなく、音という環境を自分でコントロールすることに気がついた瞬間だった」と彼は語っている。兄とともにキーボードの鍵盤にテープを貼ったまま数日間音を流し続けるという実験を繰り返し、アナログな音の探求が彼のすべてのルーツとなった。

ここで重要なのは、Somersがその後バークリー音楽大学(Berklee College of Music)に進み、映画音楽と音楽療法の二重専攻で正規の音楽教育を受けたことだ。バークリーは即興と理論の両輪を持つ実践的な音楽教育機関であり、そこでのオーケストレーション、音楽理論、スコアリングの訓練は、Somersに「感覚的な実験者」であると同時に「音楽を構造として設計できる者」という二面性を与えた。

Sigur Rósというバンドは、その音楽的才能の壮大さとは対照的に、メンバーの誰もいわゆる音楽院的な正規教育を経たわけではない。Jónsíはギター奏者として独学で技術を磨き、ヴォンレンスカ語という「意味のない言語」を生み出した詩人であり、バンド全体の語法は教育よりも直感と実験から育ったものだ。Somersの存在はその文脈においてきわめて特異だ。オーケストラのスコアを読み書きし、アレンジの構造を語れる人間が、バンドのもっとも近い場所にいた。

バークリーで学ぶ期間中の2002年、Sigur Rósがボストンを訪れ、Somersはバークリーの外の路上でバンドのフロントマンであるJónsíと出会った。Jónsíはゲイであることを公言しており、ふたりはすぐに恋人関係となった。交際初期はJónsíがツアーや録音の合間にSomersのケンブリッジのアパートに滞在するという形だったが、2005年、SomersはJónsíを追ってレイキャビクへ移住することを決める。恋人とともにアイスランドで暮らすためにボルティモア育ちのアメリカ人が故郷を離れたという事実は、後のすべての音楽的協働の出発点だ。レイキャビクではさらにアイスランド芸術大学(Listaháskóli Íslands)に入学し、視覚芸術を学んだ。「音楽学校よりも美術学校の方がずっと音楽的だった。クラスメートのほとんどが演奏し、実験していた。音楽学校では、ほとんどの人は音楽を『勉強』しているだけだった」と彼は振り返っている。

Riceboy Sleeps ── 静寂という共同作業

恋人としてレイキャビクで同居するようになったふたりにとって、音楽は生活の不可分な一部だった。自宅のリビングルームで録音し、弦楽四重奏のAmiina(Sigur Rósの長年の協力者)をアパートに招いて演奏させ、コーラスも同じ部屋で録音した。この手作り感そのものが、音の手触りに宿った。

2009年2月、ふたりはハワイの太陽電池で動くロー・フード・コミューンに滞在しながら、それまで断続的に録音してきたトラックをミックスした。Riceboy Sleepsとして同年7月にJónsi & Alex名義でリリースされたこの作品は、アコースティック楽器、ストリングス、コーラスが静かに絡み合う、Sigur Rósのポスト・ロック的壮大さとはまた異なる、より繊細でエーテル的な世界を示した。

のちにSomersはこう語っている。「スタジオを開く前は、音楽はいつも家の中にあった。壁から流れ出てくるようだった。それはとても自然なことだった」。Riceboy Sleepsはその自然さをそのまま封じ込めたアルバムだ。

Somersがバークリーで身につけたアレンジの感覚は、このアルバムにも静かに働いている。Amiina弦楽四重奏とKópavogsdætur合唱団を組み合わせながら、楽曲全体が「静寂の構造」として機能するように設計されている。それは感覚だけで作れるものではなく、音楽という言語の文法を理解している者にしかできない仕事だ。

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All Animals – Riceboy Sleepsと並ぶ傑作

同じjonsi & alex名義のアルバムAll Animals はThyssen-Bornemisza Art Contemporary(TBA21)によって委嘱された楽曲で、アーティストMatthew Ritchieが設計した大型公共アートインスタレーション「The Morning Line」のために作られた。2008年9月にレイキャビクでピアノ、声、動物の音など主にアコースティック楽器で録音された。 The Morning Lineは2008年のセビリア国際現代芸術ビエンナーレで初公開された、高さ8メートル・長さ20メートル、17トンのアルミニウム製の公共アート構造物で、芸術・建築・音楽・数学・宇宙論・科学の交差点を探求するプラットフォームだった。 音楽委嘱作品はJónsi & Alex Somersだけでなく、Bryce Dessner、Mark Fell、Lee Ranaldo、Chris Watsonらも並列で依頼されており、47チャンネルの立体音響システムに対応したマルチチャンネル・オーディオ作品として設計された。 e-flux そしてAll Animals は後にRiceboy Sleepsの限定ボックスセット(3500部)のボーナスCDとして収録され、2017年に初めてヴァイナル化(手描きスリーブ付き限定100部)、2018年のRecord Store Dayで1000部再プレスされました。

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Valtari ── 霧の中の彫刻

Sigur RósはRiceboy Sleepsの直後から次のアルバムの録音を試みた。2009年から着手し、長いアンビエントなドローンをいくつか録音したが、方向性を見失い、2010年に録音をすべて破棄して活動休止に入った。素材はあった。しかしバンド自身には、それをひとつのアルバムとして組み立てる視点が持てなくなっていた。

2011年、バンドは再び集まり、今度はSomersのレイキャビクのスタジオで録音を再開した。Somersは当初、ミキシングのみを担当するつもりだった。ところが1週間かけて素材を聴き込んだSomersは、そこに埋もれた可能性を見出した。「素晴らしい曲の集まりを聴いていると気づいた。しかし彼らは完全に焦点を失い、すべてを組み立てて意味のある形にするのが困難な状況にあった」と彼は語っている。

Somersがしたことは明確だ。散らばったドローンとスケッチを俯瞰し、「何を加え、何を削り、どう並べるか」を設計し直すことだった。アンビエントなドローンにテクスチャーと焦点を与え、必要なオーバーダブのリストをバンドに提示し、ヴォンレンスカ語に代えてアイスランド語の歌詞を使うことも促した。バークリーで身につけた「音楽を全体として設計する」感覚が、ここで初めてSigur Rósのアルバムに直接注ぎ込まれた瞬間だ。6週間のセッションを経て、バラバラだった素材はついてひとつのアルバムとして立ち上がった。それがValtari(2012年)だ。ヴァルタリとはアイスランド語で「蒸気ローラー」を意味し、Jónsíはこう説明した。「ゆっくりと転がってくる大きなものみたいな感じ」。

Drowned in Sound誌はこう評した。「2011年、バンドはAlex Somersとともに、バラバラな断片から一貫した魔法のような作品をつくる骨の折れる作業に取り掛かった」。外部の目と耳を持ちながらもバンドの内側の言語を深く理解し、さらに音楽を構造として語れるSomersにしかできない仕事だった。

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Liminal ── 閾値に生きる音楽

2018年、Sigur RósはアンビエントプロジェクトLiminalを始動させた。運営するのはJónsi、Alex Somers、そしてプロデューサーのPaul Corleyの三者だ。Paul CorleyはOneohtrix Point NeverやTim Heckerとのコラボレーションで知られるアメリカ人作曲家・プロデューサーで、アイスランドのレーベルBedroom Communityのメンバーでもある。2016年にSigur Rósのライヴ・ミュージックディレクターに就任して以来、バンドのアンビエント志向の仕事において電子音響面の要として機能してきた人物だ。

Liminalとは「閾値」を意味し、ここでも外でもない、夢と覚醒のあいだに聴き手を誘う。注目すべきは、このLiminalプロジェクトが2016年のRoute Oneと完全に同じチームによって連続して手がけられているという点だ。NPRはLiminalの開始を「昨年のRoute Oneに続き、同じ面々が今度はSigur Rósのアーカイブを掘り起こして…」と紹介している。Route OneとLiminalは別々の作品ではなく、Jónsi・Somers・Corleyの三者によるアンビエント的探求の前編と後編として捉えるべきプロジェクト群だ。

代表作であるLiminal Sleep(2019年)についてSomersたちはこう記している。「睡眠はどこまでも謎のままだ。私たちは誰もが眠り、眠らなければならないが、その内側に完全に入ることはできない。このプレイリストは睡眠サイクルの旅を——その曲線、定常状態、自然な移行を——映し出す試みだ」。

Somersはここでも単なる共同作業者ではなく、プロジェクトの設計者のひとりとして機能している。Sigur Rósのカタログ全体を素材に、ソロ作品、コラボレーション、映画音楽、AIによる音楽までを織り交ぜた「Sigur Rós的宇宙の多面的な断面」をつくりあげる。彼が長年培ってきたアンビエント音楽への深い理解と、音楽を「環境として設計する」という感覚が、このプロジェクトの骨格を支えている。

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Route One ── アルゴリズムが走る環状道路

LiminalよりわずかにさかのぼるRoute Oneは、同じチームによるアンビエント探求の出発点だった。2016年夏至の日、Sigur Rósはアイスランドの環状道路(Route 1)を一周する24時間のドライブを決行した。その全行程1332kmをYouTubeでライヴ配信しながら、音楽もリアルタイムで生成された。これがSlow TV的アンビエント実験「Route One」だ。なお同年はPaul CorleyがSigur Rósのライヴ・ミュージックディレクターに就任した年でもあり、Óveðurの共同プロデュースにも名を連ねている。Route OneはSomers・Corleyというふたりの外部の音楽的知性がバンドに合流した直後の産物だった。

音楽の生成にはBRONZEという専用のジェネレイティブ・ミュージック・プラットフォームが使われた。BRONZEはGoldsmith大学のMike GriersonとミュージシャンGwilym Goldが2011年に共同開発したシステムで、「すべての音は一連のルールに従い、再生のたびにリアルタイムで新しくユニークなトラックが生成される」という設計だ。ランダムではなく、制作者が「法則」を設定する点でMaxやPure Dataといった音楽プログラミング環境に通じる思想を持つ。

「Óveður」のマルチトラック・ステムをこのシステムに入力し、BRONZEが無限に組み換えてリアルタイムで新しい音楽的方向を生み出し続けた。だからこそ24時間超(完全版は25時間以上)という長大な音楽が可能だった。これはリミックスでも即興演奏でもなく、アルゴリズムによる変奏だ。ちょうどブライアン・イーノが最初のアンビエント・シリーズで試みた「テープ・ループをわずかにずれた位相で重ね合わせる」実験に相似している。

SomersがBRONZEのプログラミングを直接手がけたという記録はないが、Oneohtrix Point NeverやTim Heckerとのエレクトロニクス・ワークで鍛えられたCorleyの存在が、こうしたシステムとバンドの音楽的意図を橋渡しした可能性は高い。バークリーで映画音楽を学んだSomersもまた、アカデミックな音楽プログラミング環境(多くの音楽大学でMaxが教えられている)と無縁ではない。記録の上では確認できないが、音楽を「プログラムによって設計する」という発想に対して、このチームがどれほど自然に接続できたかは、Route Oneの完成度そのものが示している。

各トラックの名前はアイスランド環状道路の停車地点のGPS座標だ——63°32'43.7”N 19°43'46.3”W、64°02'44.1”N 16°10'48.5”Wといった具合に。位置情報がそのまま曲名となる。アルバムはアイスランドのNorður og NiðurフェスティバルでアーティストSigga Björgによる手描きスリーブとともに限定リリースされ、2018年のRecord Store Dayで再プレスされた。

Treble Zineが評したように、Route OneはValtariの静謐なアンビエントとKveikurの焦げついた陰鬱さを橋渡しする作品であり、バンドが向かってきた「異教的な海の洞窟、火山性のガラス、古いヴァイキングの空間」という美的宇宙の延長線上にある。そしてRoute Oneは翌年のLiminalへとそのまま接続する。Jónsi・Somers・Corleyの三者は、音楽を「一度完結した作品」ではなく「永続的に生成される環境」として捉えるという思想を、この二つのプロジェクトで一貫して追い続けた。

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正規音楽教育という特異性、そしてオーケストラへの橋

Sigur Rósの音楽的語法は、その根のところで「正規の音楽教育とは別のところ」から来ている。Jónsíは独学であり、バンド全体の表現は教科書よりも直感と実験から育ってきた。そのため、オーケストラとの本格的なコラボレーションを志向したとき、バンドはつねに「構造を語れる誰か」を必要としていた。

Alex Somersはその空白を埋めた。バークリーでのオーケストレーションと映画音楽の訓練は、弦楽、木管、ブラス、合唱のそれぞれに対して具体的な音楽的指示を与えられる能力をSomersに与えた。Riceboy SleepsでAmiina弦楽四重奏とKópavogsdætur合唱団を組み合わせたときも、Valtariで過剰なドローンにテクスチャーと焦点を与えたときも、そしてLiminalで「眠りの構造」をアンビエント音楽として設計したときも、Somersが担ったのはこの「音楽の設計」という仕事だった。

Riceboy Sleepsの10周年ツアー(2019年)では、バービカン公演においてロンドン・コンテンポラリー・オーケストラ(LCO)25名の演奏家とともに同アルバムを全曲演奏した。弦、木管、ホルン、パーカッションまでを用いたこの編成でRiceboy Sleepsが演奏されたことについてJónsíはこう語っている。「アルバム全体を管弦楽と合唱で演奏できることは驚くべきことだ。新しい意味、新しい命、異なる色彩とテクスチャーをもたらしてくれる」。

そして2023年のアルバムÁTTAの発表以降、Sigur Rósはオーケストラ伴奏をライヴの標準形態として確立させた。ロバート・エイムズ(Robert Ames)が指揮を執り、各都市の地元オーケストラ(Wordless Music Orchestra、London Contemporary Orchestra、Detroit Symphony Orchestra等)とともに41名編成でステージに立つスタイルだ。2025年にはロンドン・ロイヤル・アルバート・ホールでLCOとともに「Ára bátur」を初めてライヴ演奏し、2026年の最終ツアーレグではスコットランド室内管弦楽団、ビルバオ・シンフォニー・オーケストラ等と各地で共演している。

このオーケストラとの協働の下地には、Somersが長年にわたって育ててきた「ロック・バンドとオーケストラとの間にある言語の橋」がある。Riceboy Sleepsの弦楽アレンジ、Valtariでの弦のレイヤリング、Liminalでのアンサンブルの設計——これらはすべて、正規の音楽教育を受けた者のみが担える仕事だった。Sigur Rósが今日、世界の名だたるコンサートホールでオーケストラとともに立てるのは、ひとつにはこの積み重ねによるものだ。

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Takk... (The Tape Variations) ── 記憶の中のテープ

2025年12月、Sigur Rósはひとつの試みを世に出した。Takk... (The Tape Variations)。2005年の名作『Takk...』を、Sidney Satorsky(シドニー・サトースキー)というトロントのプロデューサーが全曲リワークした作品だ。「Takk...はリリースから20年間、ずっとお気に入りのアルバムのひとつだった。コラボレーションへの招待を受けたとき、眠りと覚醒の境界にいるような、オリジナルの曲の別バージョンをつくりたいと思った」とサトースキーは語っている。

サトースキーはすでにJónsi & Alexの2019年作Lost and Foundにも共同プロデューサーとして参加しており、このSigur Rós周辺の「アンビエント的創作圏」に深く根ざした人物だ。

ここで興味深い連想が浮かぶ。Alex Somersが13歳でTascamを手にしてから、テープによる音の変形を繰り返し続けてきたこと、そしてその審美的記憶が、彼の協力者選びにも働いているのではないかという可能性だ。Lost and Foundの公式説明には「テープ実験、モジュラー・シンセ処理、アコースティックのサウンドスケープが焦点の内と外を漂う」とある。Somersがサトースキーを選んだことには、単なる音楽的相性を超えた、テープという素材への共鳴があったのではないだろうか。テープはSomersにとって「音楽を変容させること」の原点だ。その記憶と審美眼が、Takk...という20年前の傑作の再解釈者を選ぶ目にもつながっていると考えることは、それほど的外れではない。

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ひとりのアメリカ人が変えたもの

Alex Somersがもたらしたものを一言で言うとするなら、それは「外側の感覚を持ちながら内側の言語を話せる耳」だろう。バンドのメンバーではないが、Jónsíの恋人としてレイキャビクで共に暮らしたことでSigur Rósの音楽的文法を誰より深く理解した。ふたりは2019年に別れたが、その後も音楽的パートナーとしての関係は続いており、JónsíとSomersはいまも創作上の友人であり協力者だ。バークリーで培った映画音楽・オーケストレーションの技法、アイスランド芸術大学での視覚芸術への没入、そして13歳から積み上げてきたテープ実験の記憶——これらすべてが、Sigur Rósのアンビエント的深化において独自の役割を果たした。

Valtariで霧のなかの素材を彫刻し、Liminalで眠りと音楽の境界を設計し、Route Oneでアルゴリズムとアイスランドの地形を溶け合わせ、Takk... (The Tape Variations)ではテープという素材への愛着を次世代の協力者につなぐ。これらはバラバラな出来事ではなく、ひとつの一貫した感性の表れだ。

Sigur Rósは依然としてSigur Rósだ。しかしその音楽が持つアンビエント的深みの多くは、ボルティモア生まれのひとりの人物が13歳のときにTascamを手にした瞬間から、すでにはじまっていたのかもしれない。