アメリカの音楽的土台となるブルースを広めたミュージシャン:Blind Lemon JeffersonとRobert Johnson

アメリカ音楽史を辿る本を読み始めて、最初に出会ったのがブルースという音楽だった。ジャズもロックもヒップホップも、そのルーツを辿ればこの場所に行き着くと書いてある。けれど正直に言えば、ブルースをまともに聴いたことがなかった。

本の中で名前が挙がったのがBlind Lemon JeffersonとRobert Johnsonだった。どちらも20世紀初頭のアメリカ南部で、ギター一本を抱えて歌った黒人ミュージシャンだ。実際に聴いてみると、録音は古く、時代の隔たりは百年近い。それでも再生した瞬間、何かが直接届いてくる感覚があった。

この記事は、ブルースを知らなかった私が、本をきっかけにこの二人の音楽を通じてアメリカ音楽の原点に触れた記録だ。

ギター一本の音楽が、録音技術によって世界に出た

20世紀初頭のアメリカ南部で、ブルースはコンサートホールではなく、路上や酒場、教会の集まりで演奏されていた。ギター一本の弾き語りは音量が小さく、大きな会場には向かない。そのため長い間、この音楽は記録されることなく、演奏された場所でだけ生きていた。

それを変えたのが録音技術の登場だった。1920年代にレコード産業が黒人向けの「レース・レコード」市場を開拓し始めると、それまで大都市の外では聴くことのできなかった音楽が、初めて広く流通するようになった。

もう一つ重要な場所がある。当時のアメリカ南部では、黒人が経営する白人向けの理髪店などが、人種隔離の壁を越えて音楽的な交流が生まれる場として機能していた。レコードが店内で流れ、白人客も黒人の音楽に耳を傾けた。Blind Lemon JeffersonがParamountレコードにスカウトされたきっかけも、ダラスで黒人が経営するシューシャインパーラー(靴磨き店)兼レコード店のオーナーが、レーベルの担当者に推薦したことだったという。厳しい差別社会の裏側で、黒人と白人の音楽的な接点は、こうした場所で静かに育まれていた。

Blind Lemon Jefferson——カントリーブルースを全国に届けた最初の声

Blind Lemon Jefferson(1893-1929)は、テキサス州の小作農家に生まれ、生まれつき盲目だった。7人兄弟の末っ子として育ち、視力を持たない彼にとって音楽は生計を立てるための手段だった。10代から旅回りの芸人として生きることを選び、刑務所の歌、ブルース、霊歌、ダンスナンバーなど幅広いレパートリーを路上で磨き続けた。

ダラスのDeep Ellumという黒人居住区に移り住んでからは、路上演奏を生業にしていた。白人がJeffersonの演奏を禁じた場所もあったという証言が残っており、彼はDeep Ellumの特定の一角でのみ演奏を許されていた。当時「Blind」を名前に冠した黒人ミュージシャン——Blind Willie Johnson、Blind Boy Fuller、Blind Willie McTell——が複数存在したことは偶然ではないかもしれない。盲目であることが、厳しい人種差別社会において「脅威ではない存在」として白人社会に黙認されやすかった可能性を示唆している。

1925年にParamountレコードのスカウトに発見され、シカゴで録音デビューを果たした。3年間で90曲以上を録音し、南部だけでなく北部でも名を知られるようになった。その成功は具体的な形にも表れていて、自分の車を持ち、専属の運転手まで雇うほどになったという。

彼の音楽の影響は同時代にとどまらなかった。「Matchbox Blues」は30年後にCarl Perkinsがロカビリーとして録音し、さらにBeatlesがカバーした。「See That My Grave Is Kept Clean」はBob Dylanが録音している。B.B. KingはJeffersonを自分の最大の音楽的影響の一つとして挙げている。

1929年、シカゴの路上で凍死しているところを発見された。32歳だった。

Blind Lemon Jefferson - See That My Grave Is Kept Clean

Robert Johnson——29曲だけが残した、最も深い声

Robert Johnson(1911-1938)の録音キャリアは、わずか7ヶ月に過ぎない。1936年11月にテキサス州サンアントニオのガンターホテルの一室で16曲、翌1937年6月にダラスで13曲、合計29曲を残して、1938年に27歳で謎の死を遂げた。「十字路で悪魔に魂を売り、引き換えに天才的なギターの腕を得た」という有名な「クロスロード伝説」が生まれるほど、そのテクニックは際立っていた。

最初にリリースされたシングル「Terraplane Blues」は約1万枚を売り上げ、当時の黒人音楽市場では相当なヒットとなった。しかし彼が生きている間に白人の大きな聴衆を獲得することはなかった。

Johnsonの音楽が白人ミュージシャンの間で爆発的に広まったのは、1961年にColumbiaレコードが『King of the Delta Blues Singers』をリリースしてからだ。このアルバムは特にイギリスのブルース・ロックミュージシャンたちに衝撃を与えた。Keith Richardsは初めてJohnsonのレコードを聴いたとき、ギター一本なのに二本のギターが鳴っているように聞こえたと語っている。Eric Claptonは「これまで聴いた中で最も魂のこもった音楽だ」と述べ、2004年にはJohnsonの楽曲だけを集めたアルバム『Me and Mr. Johnson』を録音した。Bob Dylan、Keith Richards、Robert Plantがそれぞれ彼の影響を公言しており、Rolling Stonesは「Love in Vain」をカバーしている。

Johnsonの歌は、大恐慌時代のアメリカ南部で黒人として生きることの孤独と恐怖を、詩的な言葉で歌っている。「Cross Road Blues」「Sweet Home Chicago」「Hellhound on My Trail」。そのどれもが、100年近くを経た今も色褪せない。

Robert Johnson - Me and the Devil Blues

なぜこの二人が「入り口」なのか

Blind Lemon JeffersonとRobert Johnsonは、カントリーブルースという音楽形式の本質的な特徴を最も純粋に体現したミュージシャンだ。奴隷として連れてこられたアフリカ系の人々を祖先に持つ彼らが、伸びやかな歌声と声に絡みつくようなギターの旋律で自分たちの表現を確立したこと。白人中心主義的なアメリカ社会の周辺に追いやられながらも、その音楽には確かな生命力が力強く宿っている。その力が録音技術によって初めて記録され、黒人と白人の間の理髪店的な交流の場を経て、やがて大西洋を越えてイギリスのロックミュージシャンたちに届いた。

そしてそこから先は、誰もが知っている話になる。

アメリカ音楽史を辿るなら、この二人から始めることを勧めたい。


参考書籍

大和田俊之『アメリカ音楽史 ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで』(講談社選書メチエ)